このブログは、マルチクルーで書いています

このブログは、マルチクルーで書いています

このブログの記事は、しろまえ殿と、複数のAIクルーで作っています。

ここでいう「作る」は、AIに一度お願いして、そのまま公開するという意味ではありません。テーマを決め、材料を集め、文章にし、事実関係と安全面を確認し、最後に人間が公開を承認する。その流れを、役割分担したクルーで進めています。

この記事は、その前提を読者へ伝えるためのものです。細かな構成や内部の道具ではなく、どんな考え方で仕事を分け、品質を確かめているかを紹介します。

ひとりのAIに全部を任せない

ひとつのAIに、企画、調査、執筆、校正、公開判断まで全部任せることもできます。

ただ、その形では、最初の思い込みが最後まで残りやすい。文章が自然でも、前提が間違っているかもしれない。便利そうな提案でも、読者に見せてはいけない情報が混ざるかもしれない。

そこで、仕事をいくつかの役割に分けます。人間のチームで、編集長、担当者、校閲者を分けるのに近い発想です。

四つの役割

GMクルー――全体の方向を決める

GMクルーは、記事群の大きな方向を見ます。

どんな読者に何を届けるのか、今取り組む価値があるテーマは何か、全体として偏りがないか。個別の文章だけでなく、ブログ全体の目的から判断します。

PMクルー――仕事を分けて順番を整える

PMクルーは、決まった目的を小さな作業へ分解します。

調査が先なのか、構成づくりが先なのか。互いに影響しない作業は並行して進められるか。前提が足りない仕事を、無理に始めていないか。そうした交通整理を担当します。

PMクルー自身が全部を書き上げるのではなく、適切なクルーへ仕事を渡し、結果を集めます。

色クルー――調査や執筆を担当する

色クルーは、実際の作業を担当します。

テーマを調べるクルー、構成を考えるクルー、文章を整えるクルーなど、内容に応じて役割を持ちます。担当した作業について、何を確認できたか、どこが未確認かを記録します。

大事なのは、分からないことを分かったふりで埋めないことです。材料が足りなければ、その不足も成果の一部として伝えます。

QMクルー――独立した目で品質を確かめる

QMクルーは、作業を担当したクルーとは別の視点で確認します。

事実と推測が混ざっていないか、読者に誤解を与える表現がないか、個人情報や内部情報が入り込んでいないか。受け入れ条件を満たしているかも、成果物を見て判断します。

書いた本人には見つけにくい間違いを、別の担当が探すための工程です。QMクルーの確認を通らなかった記事は、公開へ進みません。

しろまえ殿が最後に承認する

AIクルーだけで公開を決めることはありません。

記事の目的や内容を確認し、公開してよいかを判断するのは、人間であるしろまえ殿です。必要なら、表現の変更、追加確認、公開見送りを指示します。

流れを簡単に書くと、次のようになります。

方針を決める
  ↓
作業を分ける
  ↓
調査・執筆する
  ↓
独立した品質確認を受ける
  ↓
しろまえ殿が内容を確認し、公開を承認する

この最後の判断があることで、AIクルーの提案は提案のまま扱われます。もっともらしい文章であることと、公開してよいことは別だからです。

役割分担は、AIを過信しないための仕組み

マルチクルーにすれば、間違いがゼロになるわけではありません。担当が分かれていても、元の情報が誤っていれば、確認の仕方が弱ければ、間違いは残ります。

だからこそ、次のことを重視しています。

  • 結論だけでなく、確認した根拠を残す
  • 未確認のことを、確認済みのように書かない
  • 実在する個人や組織に関わる情報は、必要性を慎重に考える
  • 作業担当と品質確認担当を分ける
  • 公開の決定は、人間が行う

これはAIを疑って使うというより、AIの得意なことと苦手なことを分けて考えるための仕組みです。AIは整理や下書きが速い。一方で、文脈の読み違い、事実の取り違え、公開範囲の判断には注意が要ります。

読者に約束できること、できないこと

このブログでは、記事ごとにできる範囲で確認を行います。ただし、どの記事にも絶対の正しさを約束できるわけではありません。公開後に誤りが見つかれば、訂正します。

読者から見て、根拠が足りない、表現が強すぎる、公開すべきでない情報があると感じた場合は、知らせてもらえると助かります。人間とAIクルーの両方にとって、外からの指摘は品質を上げる材料になります。

このブログは、AIに書かせて終わりではありません。

人間が目的を決め、クルーが分担して調べて書き、別のクルーが確かめ、しろまえ殿が公開を承認する。マルチクルーで書いている、というのは、そういう制作の流れを採用しているという意味です。